廃園跡地

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イブラヒムおじさんとコーランの花たち

 

  イブラヒムおじさんとコーランの花たちを観た。

 

  どっかのレビューで観たけど、背景はイスラム教徒とユダヤ人の交流で歴史的な背景とか考えたら興味深いらしい。宗教としていがみ合ってる背景があるらしいのだけど、そもそも元が同じで枝分かれしただけだと思ってるからいがみ合ってるのも良くわかんないのよね。だって仏教だろうが浄土真宗だろうが法華経だろうが同じじゃないのと思うし。いや創価は違うよ。面白いと思ったのは交換だって見方。生活費で娼婦を買ったり、父親の本を売りさばいてレコード買ったり、店にいたおじさんは死んだから、今度は店を継いだりって解釈。映画見ててそこまで気づけるなんてすごいなぁ。確かに交換の多い映画だった。

 

  白人の16にしては乳臭さの抜けないモモちゃん。可愛いけど。この映画で美しいと思ったのはなにげに娼婦達なんだよなぁ。時代的な事なのか、フランスにも貧しい通りや貧しい人たちはいるのかって思った。フランスは全てが裕福だと思ってたからだ。そんなにフランス映画を知ってるわけじゃないけど、美しい部分しか描かれなかったのかも。

 

  父親が残念な人なので、愛されず育ったモモは、近所の雑貨屋のおじさんと交流していく。こういう映画なに映画って言うのかな。交流映画??交流ムービー?言うほどコーランの教えは出てこないし、イスラム教を知りたいとかコーランに興味があって見たわけでもないので、コーランの教えは割とどうでも良い。交流系の映画って感動を狙ってきてるけど、この映画は始終音楽が軽快で、感動を狙ってるような感じじゃない。別に人生の教えをそこまで説いてるワケでもないし、結局何が言いたかったのかわからない映画だったんだよね。ただただフランスやトルコの美しさだけかな。フランス映画に期待してるのは情緒とか美しさとかだけだから、期待外れにもならないし、ストーリー期待して観ると肩透かしくらってガッカリすると思う。

 

  性衝動で動いてるだけなのに、白人ってどうしてこんなに美しいのかなぁ…。風俗買ってる汚い日本のオヤジどもの悲惨さと全然違う。ほんの少しアバンチュールを楽しんでるだけのように感じられる。こういう映画で良くあるのは、主人公モモの父親が解雇されたり、父親に捨てられたり、父親が死んだりと起きる目まぐるしい不幸の後、おじさんの養子になって楽しく生きてるのに、突然おじさんが豹変したり、別れたり、死別したりとする不幸の再来。そしていい加減に終わって観てる人になんだったんだ?と思わせる展開が突然訪れる事がある。何故かそういう風にしか終わらせられないのか、あたしはこういう映画のそういう終わり方が余り好きじゃない。ここまで観てる人を引っ張って来たのにそりゃないよー!と思う。主人公は底無しの不幸に襲われ、やっと救いの手をつかんだと思ったのに、救いは失われる。でもこの人と過ごした日々が救いなんだ!っていう終わり方。そうなるんじゃないかとハラハラして観てたら案の定www

  おじさんは死ぬ時怖くないとか言ってたけど、モモからしたらやっと安住の地を見つけたのに、おじさんは自分を置いて死にそうだし、ここは異国だし、モモには不安だらけだろってツッコミたくなる。そして養子にした後の突然オープンカーをゴリ押し強気で購入するおじさんの破天荒さにもハラハラ。最終的には16のモモが誰を頼ったのかわからないけど、突然大人になり終了という。恐らくおじさんの遺産とコーランだけで生きたんだろうけど…モモがあの歳になる頃にはブルー通りの娼婦たちももういないだろうし…なんだかドライな終わり方でした。BGMというか音楽のセンスだけ良かったなぁ〜