廃園跡地

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イージーライダー

 

  イージーライダーを観た。

 

  兎に角後味が悪い。それも監督の狙いなのだろうけど。60年代厭戦が漂ったアメリカ。アメリカ人達は自分達が自由の為に戦ってきたと信じてきたが、ベトナム戦争の泥沼化や、アメリカ兵がベトナム農民を殺している事、徴兵制などから厭戦ムードが漂い、本来の自由なアメリカを失い絶望している時期だった。

  若者達は反戦を謳い、自由に生きたり、愛や平和やセックスを愛する生き方、ヒッピーが爆発的に広がった。そんな背景で、ロスからニューオリンズの謝肉祭を目指す2人のライダーの物語だ。2人はジョンレノンみたいな髪型をしている。所謂60年代の流行りなのだろう。ロードムービーと呼ばれるもので、冒頭から中盤まではひたすらバイクで走るシーンが続き、当時のヒット曲?が流れる。そう確かに彼らは自由?を体現していたのかもしれない。定職に就かず、ドラッグを売った金とバイクで謝肉祭に向かう旅。

 

  途中仲間になった弁護士がかなり良い味を出している。結局理不尽にも、地元の保安官に殺されてしまうのだが。絶望したワイアットは謝肉祭に行くも気乗りせず、墓地で娼婦とLSDとセックスにしけこむ。そのシーンは異様に長く、こっちが頭おかしくなりそうだ。ドラッグなんかしても楽しくなんかない。体に合えば良いが、ダウン系だと悲しくなり、泣いてばかりいるそうだとか。ラストはまた理不尽にもビリーとワイアットが田舎者に射殺されて終わる。この年代のアメリカは民間人がいとも簡単に殺人をするのかよってツッコミたくなる。実際どうなのかはわからない。

 

  墓地で娼婦とLSDでセックスというのも厳格なキリスト教に対する反対や批判であったり、理不尽に殺されるのも、不条理で行き詰まった時代を表すものらしい。アメリカの転機は幾つかあると思う。1つは勿論ベトナム戦争に負けた時、2つ目はツインタワーに飛行機が突っ込んだ時。3つ目はリーマンブラザーズ倒産による不況やサブプライムローンによる不況。4つ目はテロとの戦いだ。この数々弱体化、或いは窮地に追いやられたアメリカを感じさせる。そういう時こそアメリカ人は自分達が何なのか自信がなくなり揺れ動くのだと思う。多民族の集まる自由国家アメリカは、人間が目指す理想かもしれないが、長くその土地に根ざした人々共通の民族意識が薄い為に、何かあれば意外に脆いのかもしれない。自由を愛するという共同意識の元集まった人々でも。だから丁度この時期、アメリカ人達は揺れ動いたのだろう。自分達は何の為に戦争をしているのかと。そういう意識が根底にあり、再度自由とは何かを見直したのかもしれない。

 

  作中印象に残ってるのは、人々は君を恐れてる。君の中に見える自由に。という台詞。多くの人々が望むのは規律ある自由なのだ。

 

  自由が何なのか、前人と話した事がある。ムカつく奴を殺す、それがある人は自由だと言ったけど、殺意に突き動かされ人を殺す事を自由とは思えない。マーダーライセンスは自由ではない。自由とは何にも干渉を受けない事。やりたい放題やる事とは違う。他人の自由を奪って得るのはルール違反だ。自分の自由を奪われても文句言えない。そうでなくて、しなくて良い事を、したくない事を強要されない事だ。だがもっと根本的な所、嫌な事ですら嫌だと思わない気持ち、それこそが自由だと言える。何でも楽しめるその気持ちや考え方そのものが自由だと言える。考え方1つ。それに委ねられているし、それこそ自由の醍醐味なのだと思う。

 

  あの終わり方でなければ、BGMでずっと流しておきたい程の映画だけど。幾ら理不尽な現実を表しているとは言えあんまりな終わり方だった…。