廃園跡地

言いたい事を言いたいまま!

玩具の言い分



  朝倉かすみの玩具の言い訳をやっと読破。

  最後の努力型サロン。読んでいて泣きそうになった。何の不自由のない結婚をしても旦那とは遠い毎日。女の幸せは結婚だけがゴールではない。かと言って子どもを持てばゴールということでもないのだけど。そう今はまだ若いから、用心を外したら出来てしまうものだと思ってる。でもいつしか努力しても出来なくなるものだ。ハッとさせられて怖い気持ちや焦燥感を覚えさせられる。そして、全ての欲求を1人の男でまかなえると思っていたに更にハッとした。

  色んな経験を重ねて、幸せになる方法というか終着点は変わった。性を知ってもそれが必ずしも好きな人と一致しない事もある。好きな人と一緒にさえ居られれば幸せかと思ったらそれは違って、欲望のレベルはどんどん引き上げられていく。それは結婚に向いてる男と向いてない男、抱かれたい男が一致しないという事。生きていくには結婚という荒波を一緒に乗り越えられる男が適しているけど、セックスに関してはまた別だ。2つが一致してれば申し分ないのだけど、それは意外に男性と同じなのかもしれない。男性が求める良妻賢母と、性行為の相手だって一致しない事は多いだろう。女だって同じ感情があるという事を、ハッキリとは言わないものの、濁さず言ってくれた事が嬉しくて、いけないと言われそうな軽蔑されそうな感情を目の前に晒し出してくれた事が嬉しかった。

  こんな事を言おうものなら、彼氏を愛してないとか非難されるに違いないが、でも本当の所、そうなのだ。紛れもなく。性愛が一致するのが理想なのだけど、その2つは必ずしも一致しない。ロマンスや理想だけでは語れない。それは相手を本当に好きでないからだと非難されるかもしれないけど、そういう人間もいて、本当に好きな相手に巡り会えない人は出会った人の中でそういう生き方をして行くしかないのだ。

  しかし久美子の偉いところはそこから不倫してしまおうと安直にならず、恋愛小説を読み、想像して楽しんでいるに留まっている所だ。結婚相手と性を交わす相手は別であってもいいと気付きながらもそこへ手を出しはしない。夫を愛しているが故なのか或いは、相手への思いやりやルールを踏み外してまで求めようと思ってないからなのか。

  結婚する相手と性を交わす相手は必ずしも一致しないという事を、あたしは否定しない。それは今はすごく良くわかるのだ。もしかしたら子どもじみた恋愛観なのかもしれない。

  玩具の言い訳は、朝倉かすみとは思えない半端な一作もあったけど、努力型サロンで引き締められた。好きなのはグラントゥーリズモと寄り目インコズ、ボウフラ踊り、努力型サロン。色んな女の生き様や、恋愛や人生に悩むアラサーアラフォーにオススメの一冊だ。


玩具の言い分 (祥伝社文庫)

玩具の言い分 (祥伝社文庫)