廃園跡地

言いたい事を言いたいまま!

軍艦島


  午後はいよいよ軍艦島クルーズだ。船の乗り場に行くと数人人が待っていた。船はオレンジの船体をしていた。その日は照りつける陽がなかなか暑く、5月の様な陽気だった。

  時間が来ると軍艦島クルーズの事務所の添乗員の方が乗船を許可した。あたし達はちゃっかり最初に乗り込んだ。彼氏のリサーチで、屋上の進行方向右側が良いと聞いたので座った。陽は照りつけて、汗が滲むけど、海上は絶対に寒いと踏んで、コートを羽織り、マフラーを持って来ていた。暫くすると汽笛が鳴り、船はゆっくりと陸地から離れた。ゆるゆると、徐々にスピードが上がる。停船してる時は、波の揺らぎが気持ち悪かったので、体を船体にくっつけていた。

  船はスピードを出して、音を出して走り始めた。涼しい風が吹き荒れる。とても気持ちが良かった。どんどん海へ進んで行く。三菱重工の造船所も抜けてどんどん海へ進んで行く。途中色んなものを解説されたけど忘れてしまった。ただ海上に出れば出る程案の定、風に体温を奪われ始めて、寒くなってしまった。終いにはフードを被った。軍艦島へ行く前に高島という島に上陸した。そちらには軍艦島の資料館があるらしい。軍艦島は元々炭鉱が取れる為、人が移り住んだ。炭鉱が必要なくなったので人も出て行ったのだけど、その後は放置されていて、昔はマニアなんかが漁船に頼んで連れて行って貰えたらしい。今は高島の所有地となっている。

  高島では軍艦島の模型を見る事が出来た。添乗員の方が分かり易く説明してくれた。端島、通称軍艦島は戦艦土佐に似てる事からそう呼ばれている。1.2kmの予想出来ないほど小さな島だ。簡単に一周出来てしまう。明治の頃より海底炭鉱として栄え、最盛期には当時の東京の人口密度の9倍だったとか!!これには非常に驚いた。それだけじゃない、軍艦島は当時にしてはセレブな島であった。炭鉱堀はこれでもないほど過酷な仕事だったけど、高給取りで、TVの普及率は日本一。小さな島には何でも揃っていて、ないのは火葬場位だったそうな。神社、最新の鉄筋コンクリートのマンション、そして映画館に雀荘まで。それもとても驚きだった。居住区は老朽化が酷く立ち入れない。建物が隣接しているので、確かに一棟崩れればドミノ式に倒れてしまいそうな程だ。

  軍艦島資料館では当時の人々の生活が垣間見えた。写真が展示されていた。団地の様子はまるで北朝鮮の様だなぁと感じた。TVで見る平壌市内みたいだ。あたしは軍艦島の歴史よりも廃墟としての軍艦島にばかり興味がある。でも軍艦島の事を何も知らなかった。ただその美しい姿を拝見したいだけなのであった。

  高島を出発し、いよいよ軍艦島へ向かう。遠くからシルエットが見えてきた。段々と憧れの軍艦島が近づいてくる。美しい。それしか感想は出てこなかった。只ひたすら圧倒的に美しかった。それ以外何もない。とても感動していた。陽に照らされ、浮かび上がった味気ないコンクリートがあたしを興奮させた。

  軍艦島へ上陸した。広場は観光の為平らにならされていたけれど、目の前の建物は崩れていて、瓦礫が床にゴロゴロ転がっていた。確かに小さな島に思えた。簡単に一周出来そうだ。逸る気持ちを抑えて、軍艦島の話を聞いた。

  添乗員の方の話は非常に分かり易く、興味深った。軍艦島は年間で上陸出来るのがだいたい1/3位らしく、ちょっとした天候でも危ない。島が小さいし時化の日は、波が軍艦島を超えて反対側にまで到達し、島が丸々飲まれてしまうらしい。居住区の一部もまた破損し、復旧作業をしているが、なんせなかなか上陸出来ない為作業は難航しているらしい。また広場からは一部の外壁が崩れ落ち、海が見えた。それも去年の台風で崩れてしまった防波堤らしく、軍艦島は正しく日に日にその姿を変えつつある。作業が難航してると聞いて、これはやっぱり世界遺産として維持するのは難しく、自然に朽ちていくのがあるべき姿ではないかと思わせた。

  何でも揃ってる軍艦島で1番大事なものは水だったらしい。島からタンクで水が輸送されてくるけれど、夏の暑い日はすぐに足りなくなる。お風呂も海水、プールを設けたは良いけど、最後まで水でのプールをする事はなかったらしい。またこれが1番驚き、心に残ったのだけど、炭鉱堀はかなりの重労働であったらしい。海底炭鉱なので海底600メートルまで掘り進んだ。気温は40度まで上がったとか。余りに過酷な仕事で、亡くなった人もいるのだとか。炭鉱堀りは高給取りではあったけど、それ以上に過酷な労働で、朝鮮人だとか中国人も居たらしい。労働を強制したりと、軍艦島の歴史は美しいとは言えない。蓋をあければ、過酷な労働を強いられ、金のない者がそうした労働をせざる得なかったのだ。あたしはそれをハッキリと話してくれた添乗員さんに感動した。そうした暗い歴史や強制労働の問題点も知ることでより深く軍艦島を知れたからだ。軍艦島に住んでた人は今も軍艦島を訪れる人がいるけれど、炭鉱を掘りに行く地下へ降りる階段だけは昔となんら変わらないと言うらしい。階段には炭鉱の墨の跡がくっきりと残っている。それは炭鉱に出かけた男たちの想いなのかもしれないと、添乗員さんは語った。

  自由行動となり、軍艦島の美しさをたくさん写真におさめた。その日は天気も良く、レンガからは潮が吹いていた。晴天が続かないとレンガは白っぽくならないらしく、とてもレアで、更にその日は観光客の人も少なかった。いつもは100名ほどいるこのツアーもその日は半分位しかいなかったので、正に絶好の見学日和で、あたしには廃墟の神様が憑いてるとしか思えなかった。

  時間になり、名残惜しくも船に乗る。船は徐々にスピードアップし、軍艦島はどんどん遠ざかった。あたしは1番後ろに乗り、遠ざかる軍艦島を見つめた。夕日が海に反射して美しい。最盛期、海から軍艦島を見れば、夜は灯りが灯り、本当に軍艦の様に見えただろうなと思った。軍艦島クルーズだけは本当に満足した。そしてまた来たいとすら思った。あたしはすっかり軍艦島の美しさに浸っていた。

  長崎市内に戻り、添乗員さんにお礼を言った。とても素晴らしいツアーで、軍艦島を全く知らない彼氏も気に入ってくれたようで嬉しかった。



  ※軍艦島の歴史に関しては添乗員さんの話を回想して記している。失念した箇所は調べたけれど記憶違いがある部分もあるので御容赦下さい。