廃園跡地

言いたい事を言いたいまま!

川崎の中学生殺人事件


  秋葉原ホコ天で無差別殺人を行った加藤容疑者の死刑が確定した。色々背景を考えると死刑はちょっと重い気もした。色々上手くいかず自棄になったのだろう。だからと言って人を殺して良いわけではないが。精神的な未熟さが結局末路を決めたのかもしれない。

  話は変わって少し前川崎で中学生が殺害される事件が起きた。まだ小学校を卒業したての男の子が何故河川敷で無残に拘束され、裸で遺棄されていたのか。こんな目に遭う年齢ではないのに。何故標的になってしまったのか。とても残忍な事件は世間の注目を浴びた。防犯カメラの映像もあった為犯人はすぐ捕まると思われたが、既にTwitterでは犯人の情報が飛び交っていた。Twitterの情報は正しかったようで、囁かれていた本人がどうも逮捕されたらしかった。容疑者はなかなか口を割らなかったが、やっと内容が明らかになりつつある。被害者は以前からこのリーダーに暴行を加えられていた。暴行された写真もメディアで公になった。知り合いの証言ではとても良い子だったらしい。可哀想だ。そしてこの事件は防げたはずだ。事前に受けた暴行を知る者、家族、学校だって把握していたのに。


  容疑者だけが彼を殺したと言えない。総てのピースに組み込まれ、彼は殺されてしまった。少年法という壁がある以上どこまで厳罰を食らうのかわからないが、世間的な影響や、残忍さも考慮した判決が出て欲しいと切に願う。

  またニュースでは、ネットでの容疑者や容疑者家族への情報流失による私刑の横行が指摘された。しかし残忍な手口から許せないと私刑が横行したのは無理からぬ事だとは思う。怖いのは情報の正確さだ。冤罪が起きかねない。ニュースでその様な指摘があっても結局、ワイドショーに変わって私刑が行われてるに過ぎない。人様の人生を変えてしまったマスコミが言えることでもない。ネットでの私刑が横行する原因をあたしは幾つか考える。

  日本人は農耕民族で、和を大切にする。和を乱す者を村八分という形で差別してきた。そういう精神や文化が残ってるからではと思う。それプラス、勧善懲悪が好きだ。水戸黄門的な精神、或いは赤穂浪士的な、最後は悪を討ち果たすという、近年で言えば半沢直樹のヒットでもわかると思う。そういった精神性が入り混じりより一層私刑が横行するのではないか、と思う。またネットに個人情報を載せればたちまち特定されたりしてしまう。私刑がどうこうは兎も角として、厳罰を望む。