廃園跡地

言いたい事を言いたいまま!

違う生き方


  仕事場の人の愚痴に付き合ってたら疲れてしまった。彼女はいつも二言目には、親の育て方に言及する。男の子の様に育てられたから何でもさせられたし、我慢ばかりさせられた。だから今もこうして色んな人に姉御肌に思われて板挟みになるという話だ。毎度同じ話だ。やらなければならない仕事があるから、長いとか、早く終わらないかなと思って相槌を打つ。悪い人ではないし、才能溢れる人なのに勿体無い。

  親戚にもそういう人がいる。家は酒屋で、5人兄弟。長男だから家を継がなければとプレッシャーを覚えていたと思う。多分自由に生きる兄弟が羨ましかったんだろう。自分が如何に素晴らしいかすごいか、頑張ったかをしきりに訴える。

  どちらも、自分が犠牲になったと思ってるのが伝わってくる。自分が犠牲になったと思ってる人は、自分がどんなに頑張ったか、苦労したかを人に訴えたがる。そういう人たちが言う言葉が嫌いだ。押しつけがましく、賞賛を言うまで離さない。それは愚痴で現れたり、自分を褒めてくれと自慢で現れたりする。それが透けて見えるからウンザリする。私はお前のお母さんじゃないよ。

  あたしは、自分が犠牲になったなんて生き方をしたくない。犠牲になって生きていきたくもないし、そこから逃げてやろうと思う。でもそうする事で多分何処かで誰かがまた犠牲になったとか、犠牲にさせられたとか言うのだろうか。家庭環境で毒親の犠牲にされてしまう子ども達はたくさんいる。あたしだって幾ばくかはそうだった。でも自由をつかんだ。たくさんぶつかったけど。自分を認めない場所なんてこちらから出てってやる。それなら独りで良い。少なくとも自由だけは手に入る。薄情と言われても鬼と言われても、人でなしと言われても、独りが良い。犠牲を作ろうとする人ややり方を捨てることだ。それを許さない事だ。つけこまれる。犠牲になったと嘆いて暮らす位なら、こんな糞みたいな愚痴を垂らして情けなく生きる位なら、私は生きてなくて良い。生きるってもっと自由だもの。

  こういう人たちは、本当話しててつまらない。