廃園跡地

言いたい事を言いたいまま!

今、取り乱している。


  取り乱しちゃった。あたしはメンヘラを何とも言えない気持ちで眺める。自分が通り過ぎた道であり、通れなかった道である。別にデパスを飲んだとか、血がだらだら垂れるまでアムカしたわけではない。すごくハッキリ残ってしまうほどやると、後で大変だ。人に詮索される事になる。まぁ詮索されたくてやってる人もいるだろうけど。メンヘラのかまっては、自分を見ているようだ。そして、どれだけ構ってもらえたか、危険な事をしたか、どれだけ奇行かがステータスとなる不毛な争いをしているように思える。

  あたしも病んでいた時期はあったのだけど、今の彼氏のお陰である程度社会復帰出来た。あの時はいつ死ぬかずっと考えていた。一線を越えたらもう帰れないから、少し慎重になっていた。でも、咄嗟に超える程理性を失っていたわけでもなかった。だって逝ったらもう帰ってこれないから、もっと考えても良かったし、それ程絶望してなかったのかもしれない。寧ろこの状況があたしに似つかわしくも思っていた。傷つき続けることが相応しく思えた。

  醜かった。汚なかった。好きになれなかった。あたしがあたしを好きにならなくて、誰があたしを好きになれるというんだろか。でも好きになれなかった。不要だと思っていた。何も出来ない、取り繕わないと必要とされないあたし。

  恋人は医者ではないと、彼女は言った。正しくて、彼女は思ってる以上に冷静で狂っちゃいない。狂ってるように見えている人の方が現実を分かってたりする。あたしの中にはあたししかいない。あたしが全てだ。他人なんてどうだっていい。客観視出来ない。嵐の様な感情に振り回される。恋人は医者ではないのに、あたしは恋人に親を求めた。親の様に愛して欲しいと。そんなことは無理だし今となっては気持ち悪い。


  結果的にあたしは、無償の愛をくれる人に出会えた。同棲して1年程でアムカを辞めた。捨てられてしまうから。煙草も。依存するなら彼にする。他の手段は捨てた。彼は一緒に死んでくれるって約束したから。彼はメンヘラではないのに。でも、2人で楽しく生きようと思ったし、約束した。いつまでも、社会不適合者でいることは耐えられなかったし、それもまたあたしを壊す。そして生きられない、2人の未来を。あたしは未来を生きてみることにした、死ぬ気で。1度死のうと思ったんなら、足掻いてから死ぬ事にする。そういや、あたし本気なんて出しちゃなかった。今もまだだけど、結構頑張ってる。

  キツイの辛いの、自分が不要で無力なのはもう嫌だ。何故死ぬのやめたのか、彼が居てくれたので、いくら死ぬとは言え、不適合者とはいえ、人を巻き込んでまで死のうとも思わない。死ぬのやめたら、もう一つ生きるしかない。自分を分析すれば冷静でいられるし、理由が分かれば、対処出来る。だから生きてられる。

  彼女は、人が恋しくて人を求めた。人に認められたいと言った。そう生きる道はそれしかない。人から認められること。或いは自分が自分を認めること。自分を認められないのであれば、人から認めていただくしかない。でもあたしは、人なんて求められない。絶対に傷つくからだ、上手くいかないからだ。その点では彼女の方が人と上手くやっている。でもあたしは諦めている。人と上手くやることだけは。疲れて傷つくなら独りで良い。幸い今は独りでないけれど。寂しい気持ちがあったとしても、それを携えて生きていこうと思う。答えは自分の中。人の中に求めても、答えだけは出てこない。

  あたしは本当は羨ましかったんだと思う。かけがえのない彼氏という存在がいながら、好き勝手にメンヘラをやっている彼女が羨ましかったのだ。おかしな話だ。メンヘラをやめたかったのに、やめたくないとかやめられない自分がいる。現に人と違うせいでたまに苦しいけど、大人になると淘汰されていくのだ。それか本物になってしまうかのどちらかだ。

  同情は、憐憫は、蜂蜜よりも甘い。ジャムよりも甘い。愛されていると錯覚を起こすから好きだ。でもそんなもの喜んで貰っちゃいけないんだ。病気が悪化する。ああいう文章とかアムカの傷痕、血。あたしはそれを見るだけで、針が逆進しそうで怖い。そうしたら、彼氏と築いたものが全て壊れて失われる。だからまた自己憐憫なんかいい歳してやってないで、未来に生きなきゃいけない。これから産みたい大切な子どもの為に。

  羨ましかった。ネットであんなに晒せる彼女が。だって、ネットって怖い。叩かれて炎上するもん。それを承知でやれて、平気な顔してられるってすごい。他人でも嫌われたり、言葉を投げつけられたら痛いし怖い。