廃園跡地

言いたい事を言いたいまま!

子どもが生きられない世界




  子供も列車も飛行機も昔からあるのに、なぜ今こんなにマナーが話題に? そして、私達が向かう方向は。
を読んで。

  近年公共の交通機関でのマナーが問題になってる。特に子連れの親たちのマナーについてだ。ネットでは匿名もあってか、批判的な意見が目立つ。例えば満員電車でベビーカーで突進するのは間違っているとは思う。子どもにも負担があるからだ。満員の時間は避けた方が無難だ。

  一部のマナーのない親の行動で、子連れは迷惑だと思わせてる節もある。道を塞ぐベビーカーなど。でもこの記事を読んだらなんか心がほっこりした。親たちに寄り添うように、また現代の背景を交えながら、どうしてこうなってしまうのか述べている。

要約
  • 子どもへの風当たりが強い社会
  • 子どもを追い出そうとする社会
  • 予想外の行動、泣くのが子どもである。
  • 昔ほどしつけられてない子ども、弱い子どもと、弱くなった大人
  • 子どもの元気が騒音な現代
  • 街に子どもが溢れていた時代は気にならなかった
  • 弱くなった人間関係と、落ちてきたコミュニケーション能力
  • 豊かになった、忙しくなった、ストレスを抱えている私たち
  • 個室化している私たち、以前よりも自分のスペースを守りたくなっている。
  • 自動化も合理化も出来ないのが子育て
これらがかなり目から鱗でした。
豊かになった社会で、働いてる大人の隣にひょっこり子どもがいたりする。核家族化で気兼ねなく出掛けられる様になったり、また子どもを連れて行く必要が出てきた社会。

    何故子どものいる空間でこんなにストレスを抱えているのだろうか。

  大人そのものが人間関係やコミュニケーション能力が脆弱なった。個人化が進み、他人の存在に耐えられなくなってきている。増してや大人の空気など読めない子どもがいる場なら尚更だ。

  昔なら街に子どもが溢れていて、公園もたくさんあったし、近所の人は見守ってくれていたし、ALWAYS三丁目の夕日みたいな世界だったんだろうけど、いつからか子どもはいなくなった。子どもがいないから公園もなくなった。公園がないから、今の子どもは遊ぶ場所がない。路上で遊んでいれば、危ないと文句を言われる。だから室内でゲームをする他ない。追いつかない子育て支援の為に人は子どもを諦め、子どもの居場所はなくなっていく。益々大人だけの世界になっていく。


  ネットの発達のせいなのか、核家族化のせいなのか、人は干渉しなくなった。自分の趣味を個人で、または限られた内輪で楽しむようになった。コミュニケーション能力が落ちた。不用意に他人が自分のスペースに入ってくると不快感を覚えるようになってしまった。大所帯で寝食を共にする事もないのだから無理はない。

  時代は加速して何でも機械化し、高速化したけど、子育てだけはそんな事出来ない。子育てだけは、ロボットを使って機械化なんて出来ない。子育てだけは、親と子がマンツーマンで絆を深めなくてはならない。多くの企業は子育て事業に参戦したがらない。規制もあるのだろうけど、高コストだからだ。そう、子育ては高コストだ。自分で労働するまではずっと親が子を育てる。子育てだけは、予想もつかない、秩序もない、合理化も出来ない、人間の最も原始的な仕事なのかもしれない。そりゃ機械化、合理化、スピード化された現代と折り合いが悪いわけだ。非合理的で、高コストで、金銭的に考えればこんな割に合わない仕事はない。これをこなせる理由はたった一つに委ねられている。愛、一つだ。もし、人間が子どもを拒んで、子どもを排除したり、子育てを辞めたら、人間の望む通り、人間は消え去る事になるだろう。