廃園跡地

言いたい事を言いたいまま!

大好きなおばあちゃん。

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  この前久しぶりに祖母に会いに行った。祖母は多分間も無く90になる位の歳だ。調子が悪いと日中寝てる事もあるらしい。その日は比較的元気だった。認知症があるので、あたしの事をはっきりとはわかっていないようだったけど、あたしのお腹の肉を触らせたら笑っていた。

  父方の祖母はもとの性格が細かく、心配性なので、認知症になっても心配ばかりしていた。認知症になると、ベースの質素な性格のみになる気がする。母方の祖母は穏やかな人で、老人特有のへそ曲がりもないし、いつもにこにこして可愛い人だ。笑顔がとても素敵で、祖母が笑うと良いなと思い、次々戯けてみせた。子どもの頃のあたしと、おばあちゃんみたいに。

  あんなに優しい祖母、ずっとずっと元気でいて欲しい。認知症があっても、祖母が笑ってるだけで、周りが明るくなる。そして、祖母はいつも別れ際、寂しそうな顔をして、ちょっと涙を零して、来てくれてありがとうと言う。あたしはお礼を言われる度に、ずっと側に居たい気持ちが溢れる。祖母の優しいお礼はいつもあたしを嬉しくさせる。人に優しくする喜びを思い出させてくれる。あたしも歳をとったらああいうおばあちゃんになりたいと思ってる。でも性格の悪いあたしには難しいかもしれない。


  帰り際祖母と母と話していて、祖母が戦争を体験していた事を知った。そりゃ日本人で70以上ならみんな戦争を知っているだろうけど、よくよく考えたらそうだ。父方の祖父母はもう他界してしまった。幼少期よく戦争体験を語ってくれた。子どもには退屈な話ではあったけど、その割にしっかり覚えていたりする。それは祖母が繰り返し話してくれたからかもしれない。

  母方の祖母も、あたしを見て、若いって素晴らしいと呟いた。祖母の若い時代は戦争で、若さを謳歌する暇もなかったのだろう。祖母が認知症になってしまった今、もっと戦争体験を聞きたいと思っても、何処まで語ってくれるかはわからない。

   少し前に、広島で被曝した男性に、中学生が暴言を吐いたとニュースになった。中学生は多分傷つける意図なんてなかったと思う。注意された腹いせに吐いたのだろう。子どもだから、短絡的だったんだ。その言葉がどういう意味を持つかまだわかってなかったんだろう。だからといって許される訳でもないのだけど。

  あたしの家では、祖父母と一緒に暮らしていた。だからやっぱり祖父母を大切にしたし、鬱陶しい時もあったけど、尊敬もしてきた。今はそういうのを知らない子もきっといるんだと思う。最初は叱られて反発したり、反抗したりするかもしれないけど、何故相手が怒っているのか、その理由を考えられる様になったら良いと思う。

  相手に興味を持ち、相手が何故怒っているか、相手の事を考える事が、過ちを繰り返さない方法だ。

  大人になった今、不思議な事に、時々、戦争体験を聞きたくなる事がある。亡くなった祖母が戦争体験を語っていたのは、それが祖母の生涯、最も忘れ難く、印象的な出来事でありまた、それが青春だったからであろう。

  子どものうちはまだ、大人の話の重要性なんて微塵もわからないし、感じられもしない。そしてそれを本当だとも思わない。

  大人が勉強しなさいと言っても、その必要性は大人になってわかったりする。あたしもアラサーになるまでは、顔の美醜に拘ったりしたものだけど、本当は、若いというだけで、価値があるものだと、今はわかる。もうやり直しもきかない年齢になると。

  大人がどんなに何かを伝えても、知るのはいつもそこに達してからなのだ。それでもあたしも多分子どもに言うだろう。

  子どもにはつまらない戦争の話も、語れる人は益々減っていく。だからって忘れ去っていいものではない。