廃園跡地

言いたい事を言いたいまま!

可愛いとそれに纏わる仮説


  女の子を「可愛い」とチヤホヤしてはいけない。/Book of the city
という記事を読んだ

  旧式的に纏めると
  • 日本の女性は可愛いだけが評価され、それ以外の評価がされにくい。まず容姿ありきではないか。
  • クリミアの女性検事総長が美しいと話題になり萌え絵にまでなったけど、クリミアはそれどころじゃないし、騒いでる奴らはクリミアの情勢なんて知らないくせに。
以下一部引用
 これのどこがいけないのかと言えば、女性だと言うだけで、その仕事に打ち込んで、その仕事において本来評価されるべき能力が後回しになることだ。能力があってその仕事に向いていたり、少しでも良い仕事をしようと努力している女性が踏みにじられるということだ。
「女性の能力を、その人が可愛いか可愛くないかと関係なく、正当に評価する」ーーどうしてこんな簡単なことができないわけ?
PTAやママ友サークルでいがみ合っていたり、婚活仲間でブスを貶めたり、職場の嫌われお局として君臨しちゃうののは、「女の幸せ」というパイがあまりにも小さくて、女はいくつになっても可愛くあるべき、というパイ型にはめられているから。
とりあえずまずは、周りの女性の容姿や外見を褒めることは今後一切しなくていいから。そういうことするのは、2人きりで口説きたい女性の場合のみ。職場の女性には仕事のことで褒めればよろし。もちろんその反対も然りで、ちゃんと仕事をやっていないのなら、女だからという理由で甘やかすことも一切しなくていい。

  仰る通りです。あぁーと頷いてしまった。女の生き辛さの原因てこういう所にもあったのね、と思った。

  全ての男性がそうだとは言わないけど、結局可愛いか可愛くないか、なのだ。男性と仕事の話をしてても、でもあの子可愛いよねって最後は終わる。論じてるのはそこじゃねぇと思いながら、ブスなあたしは僻みだとか言われるのが嫌なので言葉を飲み込む。仕事出来るというより、可愛いか可愛くないか。だいたい男は皆そう言うのだ。その度に辟易する。

  以前仕事をよくやるとお褒めの言葉を頂いて、それはそれで嬉しいのだけど、可愛いにはなかなかランクインしてこない自分を虚しくも思った。でもそれはやっぱり、容姿ありきの評価ともう思ってるから自分をなかなか誇る事が出来ない部分もあるのかな。

  女性同士でいても、そういう競争は寧ろ熾烈で、ブスには発言権もない、ような気がする。容姿の評価が1番だから、どんなに仕事出来ても、でもあの子ブスよね、とか言われてぐうの音も出なくなる。おかしな事に。だから日本の女性は内面やら教養よりも、外見ばかり磨いている気がするのだ。整形メイクだけは上達していくけれど…。賢い女性ってそう多くはない気がしてしまう。だって馬鹿で可愛い方がモテるし。まぁ可愛いのに越した事はないし、素敵女子なんですがね。

  クリミアの検事総長の事もネットのニュースで赤面しながら見てた。一部のコドモがそういうモノを描いてるだけでも、どえらい恥ずかしい。それよりクリミアについて語れよ、と。


  女性が可愛くて良いって文化の根底には何があるか。あたしはずっと一つの可能性を、仮説を持っている。

  結局男性社会なのだ。日本人男性というのは昔は妻や女性が男性を立て、必死で影で我慢してきた歴史がある。男性が、清楚や黒髪、ロリ好きなのはその名残であるとあたしは考えている。清楚で大人しそうな女は俺を裏切らないとか、年下の女の子なら俺を馬鹿にしないとか、そういうのが文化的とか潜在的にある気がする。結局女性に罵倒されたりするのが怖くて、等身大の逞しい女とは付き合えないのだ。俺様主義で、大人しく従順で、操作出来て、逆らわず、傷つけない、そんな漫画みたいな女じゃないと相手に出来ない幼稚性の表れではないかと。こう書くと大変失礼な感じがするけど。そして全ての男性がそういうわけではないのだけど、未だに残る処女信仰と言い、そういうものが根底にあるのかなと。だから、西洋人の様な、美しくセクシーな女より、可愛い女がモテるのではないかと。セクシーで、肉食っぽい女より、やっぱり黒髪で色白で、目がくりくりして、森ガール的な女の方がモテるんじゃないかと。日本人の男は自信なさ過ぎなんじゃないかって思うのです。ぐいぐい肉食に食いついていけばいいのに。情けない事に、海外に出てまで少女買春するアホがいる。結局ナンパする勇気もないし、少女なら逆らわないからね。

  そういう精神文化的なモノも根底にあり、社会を牛耳ってるおっさんどもが、やれセックスしろだ、可愛いくいろだ、色んなメディアでアホを洗脳してるのではないかな。