廃園跡地

言いたい事を言いたいまま!

自己啓発本が好きなポジティブ論者は何でも考え方一つで何とかしようとするのでそれって体育会系の根性論に少し似てない?とか思う。

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  許させようとする人たち/はてこはだいたい家にいる
という記事を読んだ。本当全面的に同意だなぁと思った。

自己肯定感 - 廃園跡地にも述べたけど、母親の呪縛〜自己肯定出来ない女達の筆者のペラい言葉は苛つきすら覚える。本人も気持ちがわるんですが、といった形で書いていたけど、何処が気持ちわかっとるんだ?と思った。


  許してやりましょうよ、なんて第三者が言うのは簡単だ。第三者だからね。人には許せない事ってやっぱりあるし、神様じゃないんだから、完璧な人なんていないし、別に許せなくたって良いじゃあないかって思うけどね。

  許してあげないといけないって思考そのものがもう、母親が操る優等生的な考え方なのよね。別に暴れたって反乱起こしたって良いじゃない。愛される様な善の存在にならなくとも、自分が唯一無二というだけで、この世に生まれただけで、愛されるべき存在なわけだから。許す、許さないはどうでも良い。


 まぁ筆者の言いたい事もわかるわけです。考え方一つで生き方は変えられるし、楽しく出来る。クヨクヨ悩んで苦しむなら許して終わりにして人生生き直そうぜって事なんだろう。


  一定のポジティブ論者は、自己啓発本の読み過ぎなのか、なんでも考え方一つでなんとかしようとする。勿論世の中の大半は考え方一つでどうとでもなる。しかし、それが出来ない人もいるわけで。それが出来ない事象も存在するわけで。


  身内が殺されたけど、考え方一つだよね。なんて言葉は何も変えられないわけです。深い怒りや絶望、トラウマがある時は、まずそれを整理して一歩一歩変えていくしかない。相手を許すなんてのはもっと先の方で、それも許すなんてものでなくて、ある日ふともういいや、って思えるわけで。被害を受けた方がなんで、許そうとして許さないといけないのだろうかと。


  心理学でもまず、怒っている自分や傷ついている自分に気づく事が先で、その理由を明確にする。そしてRPGでも何でも良いけど、良いイメージをしてそれを重ねていく。時間がかかるもので。


  同じ悩んだ同性だし許してあげよっ!って言われても、生き方を変えさせられてしまった子どもの無力感は救えないし、解決にもならんわけです。考え方で良かった事にしてるに過ぎず、物事によっては根本解決にはならんわけです。例えば進行形で暴力を受けている場合なんかは実際に被害が起き続けているわけで。


  物事によっては考え方を変えるってのは有効だけど、心に深く傷を負っている時そんなモンは糞の役にも立たねぇよってコトです。そんな時深手を負ってる人に、もっかい無茶しろ。こうなったのもお前の考え方一つでしょなんて言えないわけです。


  心に深く傷を負っている時、その時はまず怒りや悲しみに耳を傾け、自分の苦しみを自分で知り、労わってあげる事です。カウンセリングに行くも良し、心理学の本を読むも良し。どうしても自分でどうにか出来ない時はカウンセリングが良いと思う。


  自分の乗り越えようという努力、毎日の積み重ね、そういうのを経て、好きな事をしたり、幸せだと思える事を重ねて、美味しい食事をしたり、たくさん寝て、そうして怒りが遠ざかっていったときに、或いは当事者と話を重ねて、理解が深まった時初めて、どうでも良いかと思える事なんだと思う。


  あたしの場合は怒りをありのまま親にぶつけ、大分傷つけましたが、親も理解してくれて、今では仲良しです。親なんか大嫌い、あたしには家族なんかいない、母親という人種を憎んだけれど、ぶつかって更に恨んだけれど、今では良かったと思う。親の良い所も発見出来たし、親に近づけば更に理解出来る様になると思う。母親もまた万能ではないと実感出来るし、ダメな人間だっているわけです。母親が向いている人、いない人。

そうした事で本当の家族になれた気がする。紆余曲折なければ本当の家族にはなれないのだ。