廃園跡地

言いたい事を言いたいまま!

赤ちゃんという存在


  今日赤ちゃんに会ってきた。病室で静かに寝ているだけで余り起きなかった。人見知りなのかも。赤ちゃんは小さかった。知ってたけど実際生まれたてを見るのは思えば初めてだ。皮膚は柔らかく、半熟の目玉焼きみたいだった。少し強くしたら傷がついてしまいそうで怖い。抱っこするか聞かれて断った。まだ首はすわってないし、怖くて。でもあたしを信頼して任せてくれた。

  あたしはしっかりと、頭と首と肩を持った。持つときはすわってない首を1番気をつけなきゃならない。しかし余り首を手前に曲げすぎると呼吸が詰まると思い水平に抱いた。赤ちゃんは収まりが良かったのか腕の中でまたウトウトし始めた。小さい手にうんとうんと小さく切るのも困難な爪。体は熱い。寝起きの様に熱い。そしてずっしりと重い。小さいのに重い。その時あたしは、命を抱いている事が理解った。色んな事がストンとわかったかもしれなかった。赤ちゃんは安らかにスヤスヤ寝てる。懐かれてる気がしてしまって、可愛かった。

  見ている赤ちゃんと、赤ちゃんを抱くのは大違いだ。見ているだけでは何も伝わっては来ない。だけど抱きしめると、熱く、重く、そして何の疑いも抱かず大人しく抱かれていて、全てをこちらに委ねている。否、委ねるしかないのかもしれないけど。あたしは初めて赤ちゃんというものがどんなものなのか、今日理解った。

  母は祖母になった。感動しっ放しで泣いていた。これが本当の親孝行だよなぁと見つめた。赤ちゃんが産まれると色んな事が起きる。検診だとか、健康状態をつぶさに調べたり。弟はすっかりお父さんになって逆にどっしりとしていた。出産に関してはあたしの知ってる知識なんて皆無に等しいから良くはわからないけど。お嫁さんもとても良い人で可愛い人で、幸せそうで本当に良かった。どうか元気なまま育って欲しい。

  久しぶりに家族で話して楽しかった。頭の中は赤ちゃんの事でたくさんになった。普段からイライラしたり穢れている心の中、少しは綺麗になったかな。帰りのタクシーの中で泣きそうになった。独りきりの家に帰る事の寂しさもある。彼氏といるのと家族といるのとでは違うし、久しぶりに会う家族はすごく居心地が良いし、帰るのも後ろ髪引かれる想いだ。それと、赤ちゃん。赤ちゃんのあの熱と、どっしりとした重さ。命そのものを思い出して、赤ちゃんには希望しか存在しないんだと思った。無限の可能性を秘め、穢れを知らない存在。命そのもの。それが赤ちゃんなんだ。

  

  お母さんが赤ちゃんの自慢をしたくなる気持ちもわからなくはないなと思った。あたしはそれをされるのが嫌いだからしない。だって他人のクソガキはどう見たって他人のクソガキでしかないし。可愛くも何ともない。どうでも良い。ペットの方がまだ可愛い。でも身内の子は多分とってもとっても泣きたくなる位可愛い、んだと思う。あたしの子じゃないんだけど、この子の為に働こうと思える位だ。勿論お母さんになると四六時中一緒だから大変だとは思うけど。赤ちゃんは全てをこちらに委ねている。産まれて何も出来ないし知らないから当然なのかもしれないけど、あたしは赤ちゃんに試されている錯覚すら覚える。いや試されているというか、信頼されている気がした。こんな無防備な赤ちゃんにどうして危害を加えられようか。加えられる人間は鬼畜だ。赤ちゃんは透明だ。澄み切っている。どんな穢れも存在しない。そういう意味では赤ちゃんが好きかもしれない。あの美しさにもあたしは泣いているのかもしれない。救われてるのはこちらなのかもしれない。あたしも赤ちゃんが欲しい。大変な事だとわかっていても。あんなにも重い命に対して悪戯も冒涜も出来ない。あの命の前に全ての生き物は小さいと思える。だけど、あたしは産まない方が良いかもしれないし、産めないかも知れない。欲しくてもその為に欲しいなんて口が裂けても言えない言わない。もう傷つくのは充分だ。姪っ子が居るんだからいい。

  次はいつ会えるのかなぁ。可愛かった。また抱きしめたい。