廃園跡地

言いたい事を言いたいまま!

一匹狼


  すぐ相手のことを好きになって、信じきってしまうから、依存してしまうから、いつもガッカリするし傷つく。

  傷つき方も変わったのかもしれない。泣くのはやめた。閉じ籠るだけ。関わらなければと思う。

  人は独りだし、孤独だ。人間は群れを成すけど、それは外敵から身を守る為だったんじゃないのかな。でも群れると、個の考え方は流されて、ばかになってしまう。短絡的になってしまう。あたしは、そういうのが好きじゃない。

  それに、誰かといるのが幸せとか嬉しいとか楽しいなんて、拒絶された事のない人の台詞じゃないの。

  あたしは拒絶され続けて存在するのは無理だ。そらなら最初から独りを選ぶ。

  本当はきっと他者との交わりの中に面白い事や、学べる事がたくさんあるのだろう。だけど、あたしは

  孤独を感じる。本当のあたしを受け止められる人間はいない。みんな多かれ少なかれ、仮面を被っているし、自分が全て受け入れて貰えるなんてのは幻想であり、我儘である事もわかっているのに

  あたしは、ずっと無償の愛を求めてる。それは彼氏がずっと与えてくれているものなのに。きっとあたしの見方だとか、認知だとか、そういったものが変わらない限り、あたしは幸せを幸せだと理解出来ない。

  あたしはきっと間違っているのだろう。どんな人間でも多分信じてしまって、どんな苦しみも分かち合えて、助けて貰えると思ってる。彼氏以外の人間の中でも、あたしを必要としてくれてる人が1人でも居てくれたら、あたしはもっと幸せなのだろう。いや無い物ねだりをしているかもしれない。彼氏がいるのに。

  誰かに必要とされる人間になりたい。疎ましがられたりするのはもうキツい。おばあちゃんに会いたいと思った。おばあちゃんはもう死んでしまったので、会えない。死ぬって事はそういうことだ。だから会いたくて泣いた。おばあちゃんは優しくて、誰からも愛されて必要とされている。それはいつも笑っていて優しいからだ。それはおばあちゃんの体から出汁の様に出ている天性のもので、打算的利己的なものではない。あたしにはないものだ。

  優しくしなければ人に好かれないなんて、利益がなければ人を愛せないというのは、人間はやっぱり嫌らしい生き物で、自分の利益ばかり追求してるんだなってあたしは思う。

  それは、自分という人間を大切にしてくれたから見返りとして好きになっているんじゃないのかと思えてくる。或いは自分が大切にしているものを共有出来るから?そうでない人間を愛してこその本当の愛じゃないのかって思うのだけど、暴力を振るう人間を愛する事は難しい。それは依存じゃないのかって思う。でも無償の愛があるのだとすれば、自分の利益にならない相手だろうが、好きになる事、優しさを与える事なのか。

  おばあちゃんみたいに天性の優しさを滲み出して好かれる人もいる。そんな人は我儘だろうが、辛口だろうが好かれるものなんだ。あたしは、容量も悪いし、好かれたくてやってるから、偽物だし嘘つきだ。だから、ずっとずっと群れの中に交われないのだろうか。

  本だけが、生き方を教えてくれる。話しかけてきてくれる。最近気分が塞ぐ事が多い。病気なら諦めもつくのだけど。死にたくなってくる。そう、死にたいと言葉にして自分を殺す。そしたら少し軽くなった気がする。