廃園跡地

言いたい事を言いたいまま!

叱られたいということ、世代間の差


  テレビで面白い特集をやってた。最近の若い子は叱られたい、らしい。おっさんをレンタルして叱られたりするらしい。でもおっさんは叱ってる感じもなくて、ただスバッと煮え切らない思いを指摘するだけだった。その子は満足していたようだ。おっさん曰く、叱られたいというか、若者はアドバイスが欲しいらしい。

  世のおっさん達の言い分としては、叱ると若者は辞めちまうじゃないか、パワハラだと言われるじゃないかと言っていたけど、確かにそうだ。世代間で叱るの受け取りが違うっていうのが面白い。若者はアドバイスや、スバリと指摘されることを叱ると思ってるのかもしれない。おっさん達の時代は叱られるっていうとガチで殴られたりして育ってるわけだし。逆に理路整然と叱られたり、アドバイスされるより、盗めみたいな文化だったし。そんなおっさん達が理路整然と叱れるかというと…。

  あたしの親は結構厳しく躾けたし、叱るってなるとやっぱり怒鳴られたり、叩かれたりはしてきたので、叱られたいなんてこれっぽっちも思わない。叱られるってそういう事ってイメージだ。おっさん達も、叱ると辞めたりするから、腫れ物に触るように扱ったりしてると思うけど、だから世代間で交流がなくなって、より一層お互い壁が出来て理解できないのかなと思う。人に背中を押されないと歩けない若者もちょっと甘ったれてると思うけど、そういう環境が多いから叱られたいっていうのも面白い。

  最近叱り方セミナーが出来たり、叱られ方セミナーが出来てるらしいけど、間に人を仲介しないと交流できてないのって本末転倒?な気がする。それはあれだ。すごく働いて疲れたから癒されたいと、癒される事を意図的にする事と似てて、国や文化が行き過ぎたりすると、人とコミュニケーションとる為の人を仲介しないといけなくなったりして、おかしな事になってる。なんだかなぁ。

  最近子どもの声は騒音なのか?というテーマをニュースで時々見かける。様々な意見がある。例えば充分な話し合いがないまま作られた保育園と近隣住民の軋轢とか。でも子どもがうるさいのは仕方ないことで、自分もそう育ってきた。確かに電車で子どもが騒いだり泣いたりしたらうるさいけど、それは当たり前で仕方ないことだ。騒いでる子どもを叱らないのはおかしなことだけど。最早子どもを連れて出歩くのが当たり前なら、子どもと接触を避けるなんてのは無理な話だ。

  あたしの子どもの頃は母がこもりっきりで、どこかに連れて行ってもらった記憶なんてないから、世のお母さん達が子連れで出掛けるのは違和感があるけど、もう時代が違うわけで。遅くまで連れ歩くのはおかしいと思うけど、電車には必ず子連れがいるんだ。

  世の中、高齢化社会でそれは誰もが感じている。だから出歩いて老人と接触を避けるのも同じく不可避な事だ。世の中がどんどん、高齢者や大人が過ごし易くなっていってる。昔みたいに公園がなくなってるし、子どもには遊ぶ場所もない。家でゲームが基本になっていってる。少子化をなんとかしようなんて思ってない。有権者の殆どは老人なのだから。

  今や核家族化が当たり前で、子どもも老人とは接触しないし、お互い扱い方がわからないのだろう。おっさんと若者のように。だから子どもの声が騒音だと感じられるのも仕方ないのかもしれない。大人なら、子どもに対する余裕も欲しい所だが。

  結局時代が変わってしまった。昭和とは違う。時代が違い、その時代に合った子育てをするしかないのだ。

  最も納得した意見にこんなのがあった。若者はみんな都会に出てしまい、家族と暮らさない。他所から人がやって来るけど、その地域に根付いて、その地域で交流したり、盛り上げようという気もない。子どもを育てても、その子どももまた他所へ行く。その土地に昔から住んでる人たち、愛してる人たち、生活を営んでる人たちとは温度差があるし、いずれ去っていく人たちだから、地域で子どもを育ててると思えないし、その地域の子どもではない、愛着もないから騒音に感じられるという意見に共感した。世代間の交流の少なさが色んな問題に起因してる。逆に地域を盛り上げて、皆が参加出来ればとても住み易くなるんじゃないかと思う。