廃園跡地

言いたい事を言いたいまま!

与えよ

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  頭がぼーっとして、気分が良い。睡眠薬を飲んだ時みたいに。

  言動が人と違う人も、一般的に思えぬ主義主張も、みすぼらしくスーパーの前に佇む老人も皆本質はあたしと同じだ。そう寂しいのだ。他の人間と違うと、おわれた者なのだ。見下しても、同じ人間なのだ。

  与えよ、さすれば与えられんとか何とか、どっかで見た事がある。それ程馴染みのある言葉だ。それが真実かどうかは分からんが、苦しみから己を救ってくれるのであれば、そうしよう。宗教染みていると思うが、宗教とは倫理のベースを作る以外に、弱い者の為にある。欺瞞であっても心の糧になっていれば、役割を果たしてると言える。馬鹿馬鹿しい事でも。

  この人は困っているかもしれない、何かお役に立てるかもしれないと考えれば、自ずと相手の為に行動できる。深く考える必要はない。

  人の悪意に腹を立てるのではない。悪意を平気で悪意と思わず、それを行動にうつせるその心を、恐ろしく思う。

  人の悪口は1番の悪に思える。それは伝染してゆく。悪い事をしなくとも、勤勉であろうとも、人から評判が良かろうとも、それに感化され悪口を言う人間は同罪だ。

  心を許すのを辞めよう。取り込まれる。
応えなくとも追及はしないが、問うならば応えよう。しかし平気で人を無視出来る人間は恐ろしい。それを思うと、あたしはあの人が良い人とは思えない。相手も弁えている。無視しても平気かどうか振るいにかけている。

  笑って冷静沈着で、勤勉で。それはさぞかし優秀であろう。しかし、心は無い。自分が安全な場所から面倒事を眺め、誰かの為に動く気すらない。そういう人間だと分かっているし、皆が皆口を揃えて良い人だと言うならば皆が皆見る目がないだけだ。