廃園跡地

言いたい事を言いたいまま!

成長しない発想、する発想


感銘を受けた話。


  この筆者は当初入社したかなり良い会社で、自分らしさを失いたくないので俺イズムを貫いていた。
  • 普通のサラリーマンになりたくない
  • 社畜になりたくない
  • 流行に流されない
  • 会社の飲み会は欠席
  • 紺のスーツに白シャツなんて有りがちな恰好したくない
  • プライベートは趣味に使用。会社は定時上がり、年間30〜50本のライブに行く。自宅学習なんてなし。
  • 挨拶や社会人としてのマナーは下らない。皆の中で流行ってるものにも飛びつかない。
  • 優秀な人や学習する機会に囲まれていたし、4年もいた割には成長しなかった。
  その後独立しようと考え興味のあった分野を独学し、小さな会社へ転職。その環境は
  • 自分らしさに拘ってる余裕がない
  • 周りにいる人全てが先輩
  • 短期間で吸収したいから飲み会やランチに参加にその人の考えや知識を吸収。
  • 興味がない事でも積極的に参加
  • 広告に関わるから、流行が嫌いでも受け入れるように。軽薄だろうが下世話だろうが流行るには理由があるばずだ。
  • プライベートでも学習。ライブには行かない。
  • 人の話を積極的に聞く。様々な業界や年齢の人に会い、ビジネスマナーの大切さを痛感
以下引用

「自分らしさ」が生んだ多くの「成長しない発想」

人間は誰しも、成長する可能性を秘めています。しかし、その可能性を一番閉ざしてしまうのは、実は働く環境ではなく、自分自身の心の持ち方なのだと思います。

特に、すぐに他者や環境を否定し、自分の行動や変化を抑制するタイプのネガティブ発想は、成長の最大の敵です。せっかく成長する機会が目の前に現れても、安易に乗っかるのを恥ずかしいと思い、それを否定し、チャンスを放棄し、自分は軽くない人間だといってその行動を正当化し、ずっと同じ場所に居続けてしまいます。結果、成長する周囲に差をつけられ、時代に取り残され、やがて「できない人」になっていくのでしょう。(中略)

過去の私自身を振り返ってみても、自分の成長を分けたのは、環境を変えたことそのものではなく、「成長しない発想」をやめて、「成長する発想」に転換したことが非常に大きかったです。私が陥っていたこの「自分らしさ」病に起因する「成長しない発想」と、その後の「成長する発想」の違いを、少し整理してみました。

■めんどくさそうだ、やめておこう→面白そうだ、やってみよう
未体験のことを、めんどくさそうと思うか、面白そうと思うかで、チャンスの多い・少ないが決まります。

■それをしたら損をするのでは→それをしたら得をするのでは
未経験のことをするときに、そのメリットより、デメリットにばかり目が行って尻込みすることは、その時点で多くのものを失います。

■どうせ無理→なんとかなるかも
立てた目標を達成できるかどうかは、能力の差ではなく、時間があるかどうかでもなく、とにかくなんとかしようと思うか、あるいは最初からあきらめる準備をしているかの違いだったりしないでしょうか。

■それは嫌い→それは好きになるかもしれない
やったことないこと、精通してないことに、好きも嫌いもないはずなのに、それを最初から嫌いといって拒絶するのは、チャンスを失いやすい発想です。

■そのことは自分には向いてない→そのことはやるべきだろう
向き不向きなんて、本当はやってみるまで分かりません。なのに、やるべきか、やらざるべきかの判断ではなく、最初から自分には向いてないと決めつけてかかるクセがあると、多くのチャンスを失うでしょう。

■参考にならない。無駄だった→何か参考にできることがあるはずだ
いつも最高の経験ばかりで人生を過ごすことなんてできません。良くない経験もそこから学べること、反面教師にできることは色々あるはずです。経験を無駄にしているのは、他人でも会社でもなく、自分自身ではないでしょうか。

■それは自分の役割じゃない。関係ない→自分の周りのことはできるだけ知っておこう
自分の責任範囲しか見ないで仕事をする人と、周囲で起こっていることも自分事としてとらえる人では、同じ1日8時間の労働時間でも、経験することの量も質も変わります。これが1年、2年と続くと、成長する人としない人の、大きな差になるのではないでしょうか。

■流行に乗るなんて恥ずかしい→流行ってるのはなぜだろう?何か理由があるのでは?
世の中で起こっていることをシャットダウンしても、成長はしません。好き嫌いではなく、なぜそうなのかを考えられれば、自然と耳に入ってくる雑音も、貴重な情報源になるでしょう。

■簡単に動かない、変わらない自分は冷静沈着でクレバーだ→何か行動しないとまずい
動くべきか、動かざるべきかは状況にもよりますし、無計画な行動が良いわけではありません。ただ、いつも流行に乗ることを嫌い、いつもじっとしている自分が好きな人は、いつも出遅れ、いつも成長機会を失っていると気付くべきでしょう。

■もうできない→まだやれる
物事、工夫をすれば、無理な状況を覆したり、代替案で近い効果を得る方法を考える余地はあったりします。目標まで到達できるかは、やれると考えるか、諦めるかの違いだけだったりしないでしょうか。

■失敗例があるから、やらない方が利口だ→成功例があるから、できるかもしれない
物事には、成功も失敗もあり得ます。なので、単に億劫で自分がしたくないということにだって、さも正しいかのような例を集めてくることはできるのです。その判断は本当に、冷静な「撤退」の判断なのでしょうか。ただ単に、変わりたくない自分を正当化しているだけじゃないでしょうか?

成功者の体験談を都合よく解釈することのリスク

かつて、「自分らしさ」を大事にして「成長しない発想」でいることを支えていたのは、成功者や、かっこいい生き方をしている人たちのこんな言葉でした。

「人からダメだと言われたが、自分は信念を貫いた」
「誰も評価してくれなかったが、自分は成功すると信じていた」
「大事なのは、自分を信じることだ」

しかし、これがトラップでした。確かにそうなのでしょう。大きな成功や成果を手にする人は、自分の信念やスタイルを大切にしているのでしょう。しかし、現実には、自分の信念やスタイルにこだわって成功する人と、ちっとも成長せず、ただのひねくれもので終わる人が存在します。両者に違いがあるとすれば、それは、目指すべき明確な目標やビジョン、志、それに伴う行動力があるか、という点ではないでしょうか。

最初の私のように、明確な目標もビジョンも、裏打ちするスキルもないのに、プライドだけはいっちょまえ、あれはしたくない、これはかっこ悪い、こんな社会人になりたくない、という文句が多く、あまり行動せず、目標とは紐付かない根拠のない「自分らしさ」を最優先で考える人は、殻に閉じこもり、成長せず、どこにも向かわず、何も成し遂げられません。

自分らしさや自分のスタイルが意味を成してくるのは、明確な目標やそれに伴ったスキルがあり、それらが相乗効果を発揮するときだけです。

そして成功する人というのは、大きな意味の「自分らしさ」にこだわりつつ、目標と合致しない細かなこだわりはすぐに捨てるような、そういう柔軟さも持ち合わせているのではないでしょうか。私自身は決して成功を収めた人間ではありませんが、そんな気がしてなりません。

私の経験、あるいは周囲の人を見ても、就職でも転職でも起業でもいいのですが、新しい環境に飛び込むときは、妙な「自分スタイル」は捨てて、すべてをいったん受け入れた方が、成長できる可能性がぐっと高まるというのは、ほぼ確実に言えることです。

それを社畜とバカにする人もいるかもしれません。狂信的になったり、違法行為に手を染めたり、うつ病になるまで働けとは思いません。でも、自分のこだわりはいったん捨てて、新しい環境にある程度どっぷりつかってしまおうと覚悟することは、「成長する発想」を促す、ひいては自分の秘められた能力を最大限引き出す、とても大事な心構えなのだと思います。

「自分らしさ」をいったん置くのは、目標を見つけるため

私が「成長しない発想」をやめられたのは、目標が見つかったからでした。しかし、目標というのは、実はそんなにすぐには見つからないんじゃないかな、とも思います。私も、社会人になって2~3年過ぎるまで、目標なんて見つかりませんでした。明確な目標が見つからないまま働いている人の方が、世の中には多い気もします。たまたま目標と思いこめるものを見つけられた私は、運が良かったのだとも思います。

しかし、大きな目標がないのならなおさら、まずは、24時間仕事にドップリ浸かるような濃密な時間を過ごした方がいいと、私は思います。濃い体験をしているから、自分のしたいこと、したくないこと、向いていると思えることが、際立って見えてきます。何を目標にすればいいか、ハッキリしてきます。すべての経験が無駄にならず、次のステップに活きてきます。

一方、これといった明確な目標やビジョンもないのに、社会との摩擦や努力から逃げることを正当化するためだけの「自分らしさ」にこだわり、「成長しない発想」で日々を過ごし、淡泊に仕事をする習慣がついてしまうと、実りの少ない、中身の薄い毎日を過ごしてしまいます。そして、後でやりたいことが見つかった時に、経験をうまくリサイクルできなくなります。私のように、人より出遅れたキャリアを歩んでしまいます。

いやいや、忙しすぎるとゆっくり考える暇がなくなるよ、なんていう人もいるでしょう。しかし、果たしてそうでしょうか。そういう人は、例え時間があっても、決断を後回しにするだけではないでしょうか。むしろ、忙しい状態、脳みそがフル回転している状態、このままではいけないという焦燥感に追われている状態の方が、自分のキャリアや仕事というものを真剣に考え、少ない時間から行動する時間を捻り出したりしないでしょうか。

もちろん、働き方も価値観も人それぞれで、何が正しいわけでもなく、幸福は自分で決めるものですが、以前の私のように、根拠のない「自分らしさ」にこだわるあまり、「成長しない発想」に取りつかれ、貴重なチャンスを活かさず、実り少なく過ごしてしまったと後悔する人が無駄に増えないよう、自分の経験を少し書き連ねてみました。

ちょっと長かったけど引用。特にこのタイプなので、俯瞰し過ぎて、サブカル拗らせないようにしないと…と思った…。ためになりました…。